合同開催によせて

合同主催のミゾヲチ (@contender41) です。
個人サークル「ヱンヅイ屋」で小説を出したり絵を描いたりしております。

今回は秘封倶楽部の15周年、および serial experiments lain の20周年ということで、
クロスオーバーの合同誌を企画させていただきました。発案は2017年の9月頃です。
これまでは Twitter で相互の方々に声をかけるなどしておりましたが、
話し合いの結果、合同参加者の公募に踏み切ることになりました。
本合同の方針としては、lain のそれと違わぬ、前衛的で実験的な合同を目指しております。

合同タイトルは

ムゲンジッケン -ドゥリアル エクスペリメンツ- と読みます。

タイトルにある

の字は、舘暲(たち すすむ)さんという研究者の方により提案されている、
"Virtual" という概念そのものを指す新字です。
訓読みはそのまま「ばあちゃる」、音読みで「ジツ」、ですので、ムゲンジッケンとなります。
「Dreal」は dream + real の造語で、そのまま「夢現」の訳としてあてました。
夢と現、そしてバーチャルを験する。これこそが本合同の目的です。

本合同主催 ヱンヅイ屋 ミゾヲチ


秘封×lain合同について

「ワイヤードでは、リアルワールドと違う人格を装うってのは、まぁ普通だけど。
 ちょっと極端だね、アンタ」

----『serial experiments lain』 Layer:03 PSYCHE

lain、恐ろしい作品だ。初めて視聴したとき、私はそう思った。
その衝撃は今でも心に轟いて消えず、心を掴んで離さず、こうして私を創作活動に駆り立てている。
それは私に限った話ではない。
この合同誌に集まった参加者も皆、それぞれ lain への特別な想いを抱いて、それぞれの想いを作品にしている。

――秘封×lain合同とは、lain に創作意欲を掻き立てられた、秘封倶楽部好きの集まりによるクロスオーバー合同誌である。

なぜ今、lain なのか。そしてなぜ、秘封とのクロスオーバーなのか。
それを説明するために、素人の私が lain について語るのを、少しの間だけ許してほしい。

昨今、VR、AR技術が普及し始め、ますます人々はヴァーチャルをリアルに感じられるようになった。
Ingress、ポケモンGOを始めとする"位置ゲー"が流行し、人々はリアルに居ながらヴァーチャルに没頭するようになった。
近年ではヴァーチャルユーチューバーが人気を博し、一つの社会現象にまでなっている。

lain という作品は、こうした現代社会の様子を予知していたように思えてならない。
AR技術を駆使し、ヴァーチャルを見ながらリアルの世界を闊歩するギーク。
リアルの地形を舞台に、ヴァーチャルのゲームをプレイする子供たち。
そしてリアルの体を持たずとも、世間に広く知れ渡りヴァーチャルで生き続ける lain という存在……
これらは全て、作中で扱われたテーマであった。

ここで強調したいのは、これだけリアルとヴァーチャルの混交というテーマを広く深く上手く扱った lain という作品が、この原稿を執筆している2018年から数えて20年も前、1998年のものであるということだ。
「インターネット」が流行語大賞に選ばれたのは95年。匿名掲示板「2ちゃんねる」の開設が99年であり、
そしてウェブ上のコミュニケーションネットワーク「twitter」の利用開始は06年である。
今では「ネット弁慶」という言葉や、SNSの「裏アカウント」という概念はありふれたものになっているが、 lain 放送当時、そうした「リアルとヴァーチャルでの性格の豹変」という事象は日常ではめったにお目にかかれない珍事であった。
それにもかかわらず、冒頭に挙げたように、この作品内ではそれが当然のこととして扱われている。
それどころか、主人公の玲音がリアルの自分とヴァーチャルの自分の性格の乖離に困惑し、狼狽し、苦難するというテーマが作品の根幹に据えられていたのだ。

それだけではない。lain が扱ったもう一つの大きなテーマとして、「シミュレーション仮説」がある。
この仮説自体はさほど新しくはないのだが、これが広く知られるきっかけになったのは、99年の米国映画「マトリックス」であった。だが lain は、更にその1年前に放送を開始している。その時点で lain は、マトリックスにおける「シミュレーションをする側-される側」というシンプルな構造を既に超越しており、より複雑怪奇な、型にはまらないリアルとヴァーチャルの境目を描き出していたのである。

そう。lain の恐ろしさは、その先見の明にあった。
その先見の明に震え上がることができるのは、まさに今、この時代が、lain が描き出した世界であり、
その時代に今、私達が生きているからだ。
今、lain の合同誌を作ること。
そこには、単なる「二十周年記念」以上の意味がある。

lain が放送されてから随分経つ。ここに来た者の中で、リアルタイムで視聴していた方はどれほどいるだろうか。これは私の所感だが、それほど多くはないだろう。まだ生まれていなかった、という方もいるかもしれない。そしてそれは、この合同誌に名を連ねている者達にも言える。実際、初期メンバーの大半は、lain 放送当時、テレビ番組とコマーシャルの区別もつかない子供であった。
ではなぜ、そんな者達が集まって、しかも秘封倶楽部とのクロスオーバーで lain の合同誌を出すのか。
ここではもう一つの疑問、「何故秘封なのか」について説明するとしよう。

東方や秘封で創作活動をするとき、殊に合同誌を企画するとき、しばしば投げかけられるのが
「それ東方(秘封)でやる必要ある?」という疑問だ。
私個人としては、「俺がやりたいからやる」のスタンスで構わないと思うのだが、ここでは敢えて疑問に正面から答えることにする。
ある。秘封で lain の合同をやる必然性はある。
断言しよう。この合同誌は、「なんとなく秘封っぽいから lain を依り代にして合同誌を企画しようぜ」といった、両作品に対して失礼なノリで企画されたものではない。
lain と秘封倶楽部との間には、見過ごせない類似性・共通点がある。
そしてそこには、複数人で集まって合同誌を出すのに十分な、興味深い創作のタネが眠っている。
語調を強めて言えば、「この企画はここに在るべくして在る」のだ。

その共通点・類似点というのは、まさに「ヴァーチャルとリアルの混交」にある。
秘封倶楽部シリーズ第三弾「卯酉東海道」にて、原作者のZUN氏はこう語っている。

「ヴァーチャルとリアルの違いは、ハードとソフトの違いみたいなもんです。分けて使うことは出来ません」

VRやポケモンGOについても他作品で言及している彼は、この「ヴァーチャルとリアルの混交」というテーマに対し、各所各所で意欲的にアプローチしている。
それが顕著に現れているのが秘封倶楽部系列の作品である。

秘封倶楽部というシリーズは、夢と現の境界を解明せんとする物語である。
多くの対話や探検を通して、蓮子とメリーの二人は、夢と現実の相似・相違について、
それが全く別のものなのか、それとも同じものなのかを探求し続けている。
秘封世界の「夢と現」は lain の世界の「ワイヤードとリアルワールド」に対応しており、
私達の日常生活における「ヴァーチャルとリアル」と相似の関係にある。
そして、それら二つを分ける境界線は存在するのか、しないのかを問うているという点で、二作品は共通している。

ここでいう「ヴァーチャル」は、もちろん「ヴァーチャルリアリティ」を語源としている。
一見逆説的に見えるかもしれないが、ヴァーチャルの本質は、その現実性にある。
我々は全く現実味のないヴァーチャルリアリティを見せられても楽しめない。
そこに何かしらの現実感、臨場感、「真に迫っているモノ」を感じるからこそ、我々はヴァーチャルを楽しめる。
現実ではないけれど、現実に見える、という性質。
それがヴァーチャルの持つ重要な性質であるが、それはまた、夢というものの本質でもある。
我々は夢の中でそれを現実のように感じる。
夢から覚めても、それが現実のようだったと感じることさえある。
夢というのもまた、現実ではないのに現実に見えてしまうという性質をもっており、太古の昔から人々を楽しませ、あるいは恐怖させてきた。
VRゴーグルを外した瞬間に感じるあの「脱出感」は、正に夢から覚めた瞬間のあの感覚と同じものであり、また夢の中で怪物に追いかけられたときに感じる恐怖は、ヴァーチャル世界で感じるそれと同質のものである。
リアルではないはずなのに、リアルの感受性が働いてしまう。
時にはリアルではないことさえ忘れてしまう。
このように「夢と現」、「ヴァーチャルとリアル」の間には、注目するに値するだけの対応関係が見て取れる。

秘封倶楽部の作品において、蓮子とメリーは夢と現について対照的な考えを持っている。
宇佐見蓮子は夢と現実は別物であると主張し、その二つを区別するべきだと訴えている。
一方でマエリベリー・ハーンは夢の世界と現の世界は「地続き」であるという発想を持っていて、実際にその境界を越えてしまう性質を持っている。
この対照により「夢と現の境界」についての双方向からのアプローチが行われ、ストーリーが展開していくのが秘封倶楽部という作品である。

では、lain はどうか。
作中の中で、主人公、岩倉玲音は初め、リアルワールドとワイヤードは別物だという意識を持っていた。
その信念を最後まで貫こうと、「正気の」玲音は戦い続けた。
現実とヴァーチャルの世界をきっちりと分け隔てようとする。この点で岩倉玲音は宇佐見蓮子的である。
しかし一方で、玲音は無意識にリアルワールドとワイヤードを繋ぎ、その境目を分からなくしてしまう性質を持っていた。
その影響で、玲音本人もまたその区別があいまいになり始める。
やがては自分がワイヤードの世界を自由に書き換え、更新できることにも気づいてしまう。
リアルとヴァーチャルの境界を超越し、その二つを繋いでしまうという点で、岩倉玲音はマエリベリー・ハーン的でもある。
この相対する二つの性質が岩倉玲音の中でせめぎ合い、葛藤を生んでいるのが lain という作品である。
そうであるならば、このせめぎあいが蓮子とメリーという二人の間で起きているのが、秘封倶楽部という作品であると言えよう。

この他にも類似点は複数挙げられるが、それをここで挙げるのは止めておく。
これ以上のことは、各寄稿作品が表現してくれることを期待しよう。
ともあれ、こうした類似点を上手く活かして表現活動をしようという意欲が合同誌として形になったものが、この秘封×lain合同である。
当然、lain にしかいない魅力、また秘封倶楽部のみが持つ要素などといったものは多くある。
この合同の参加者は、それぞれの作品を好み、それぞれを尊重している。
それでもやはり、目を向けてしまいたくなる共通点があり、心を躍らせる類似点がある。
だからこそ、この合同が存在しているということを理解していただければ、幸いである。

文: 酉京都怪奇倶楽部 そひか

Serial experiments lain とは

「このニュウスは今この時間に流しているものですが、このニュウスが届くのは明日、もしくは昨日になる事もありますのでご注意ください」

----『serial experiments lain』 Layer:07 SOCIETY

「serial experiments lain」(直訳: lain についての一連の実験)。
1998年にマルチメディア企画で展開された一連のSF作品である。
アニメ(全13話)、ゲーム(プレイステーション、以下「PS版」)、雑誌や書籍で構成され、
それぞれが独立したストーリーと手法で、その世界と主人公の少女・玲音を描く。

これらに共通するテーマは「存在は認識=意識の接続によって定義され、人はみな繋がれている。記憶とはただの記録にすぎない」という哲学的な概念であり、この作品が人を選ぶと言われる理由の一つとなっている。
20世紀末に生まれたこの作品群が語られる際には、多く「難解」「前衛的」「哲学的」と言った言葉が用いられ、とくにアニメ版はしばしば「予言アニメ」、PS版は「鬱ゲー」などとも言われる。
PS版がプレミア化している(後述)のに対し、アニメ版は 2018/7/7 (後述の「クラブサイベリア」開催の日) に Amazon Prime のプライム・ビデオに追加されたため、これから lain に手を出してみようという人は、大抵はアニメ版の方を先に確認することになるだろう。
以前より lain を知っていたというファンとて、PS版まで持っている人はそう多くはない。

アニメ版はSF的な要素が強く、現実世界=リアル・ワールドと仮想世界=wiredとの区別が曖昧になった世界…… と書くと今では別段珍しいものとは言えないが、一貫してアンダーグラウンド的に描き、何よりそれを20年前に表現していたことが最大の特徴と言えよう。
のみならず、哲学、心理学、疑似科学や精神病に神の存在といった様々な要素が複雑に混ざり合い、稀に見るユニークな雰囲気を生み出しているのである。
一度や二度視聴した程度で理解しきることは到底不可能だろう、或いは何度見たところで同じことかもしれない。

PS版は精神病に関する話が主である。カウンセリングを受ける玲音とそのカウンセラー・米良柊子に関する日記、治療記録や備忘録を、音声・映像などで再生していくという独特な―――非ゲーム的なシステムである。
プレイヤーはその時系列や出来事を、自身の脳内で整理・補完しながら進めることが求められる(時にその情報はメタ的でもある)。
アニメ版よりも多分に陰惨な描写が多く…… ロードの長さと操作性の悪さにも悩まされることだろう。
PS版の定価は5,800円だったものの、販売数の少なさと lain のカルト的な人気によりプレミア化している。
長らく定価の倍額程度ではあったが(私は2012年に楽天にて11,270円で購入できた)、lain 20周年を迎え相場が変動、2018年7月現在、Amazon の最安値が38,500円、駿河屋で32,800円 (買取価格19,000円)と、最早2万円台で入手するのも難しい。2018年1月の段階では Amazon 最安値が16,920円だったので、或いはクラブサイベリアの影響も強かったのかもしれない。

クラブサイベリアとは、作中に登場するサイベリアというクラブを、やはり作中に登場するJJというDJを招いて再現したイベントである。
ファンイベントながら、製作陣も招いた事実上の公式イベントのようなものであり、私も1ファンとして参加させていただいた (10個限定のピケちゃんのぬいぐるみも1ついただけた)。

書籍に関しては『月刊AX』にアニメとほぼ同時進行でイラストやテキスト、漫画が公開されていた。
その後に出版された書籍は、主に以下のものがある。

  • 「scenario experiments lain」
    アニメのシナリオ+脚注。アニメの内容理解には最適。絶版となり、新装版が出ている。
  • 「visual experiments lain」
    公式ガイド本。こちらも絶版となっていたため、復刊版が出ている。
  • 「An omnipresence in wired Lain 安倍吉俊画集」
    lain のキャラクターデザインを担当した安倍吉俊氏の画集。
    再販版が出ており、さらに2018年9月には新装版が発売される。

また、BOOTLEG という2枚組の CD 作品も存在する。
限定版ファンディスクのような位置づけだが、プレミア化しているだけのPS版と違い、こちらは在庫が滅多に出回らないため入手そのものが困難。
(欲しい。安倍先生の同人誌とこれさえあれば一応一通り揃ったことになるのになー。多分、今のところこれ持ってる人が参加者内にいないんですけど、誰かもってません?)

作中に出てくるクラブを再現しようとファンがイベントを企画したり、ゲームの値段が高騰し続けたりしていることなどから察しうると思うが、lain は一般受けしない代わりにコアなファンが主で、局所的にカルト的な人気を有している。20年経ってなお、海外にもファンが多く、国内外に少なからぬファンサイトが立ち上げられている。中には「TSUKI」 (http://systemspace.link/) など、多分にアンダーグラウンドなものもあるが、それも実に lain 的であると言えよう。

我々が挑もうとしているのは、そういった作品なのである。これもまた実験に違いない。
主催者として、これでもかという程、前衛的で実験的な作品が寄稿されることを願っている。

文: 本合同主催 ヱンヅイ屋 ミゾヲチ